高級化とは、「機能の質の向上」であり、機能そのものを付け加えたものではない
2009-07-28


別報の通り、FZ38が発売された。コンパクトデジカメの普及で、今までのムービーカメラや、上位機種のLUMIX GH1を凌ぐというか、これまでに経験したことの無いハイビジョン動画が撮影可能になった訳である。

やはり、GH1を買わないで良かったと僕は感じた。
但し、ムービーカメラの必要不可欠なバリオアングル液晶の機能が搭載されていないので、ムービー撮影でもっとも重要な、画像・映像にメリハリをつける為の構図変化(撮影ポジションの自在な移動による)が出来ない等の制約がある。

LUMIXの商品系列は、
普及型→通常ランク→多機能・差別化型(FZ38等)→マイクロフォーサーズデジタル一眼→デジタル一眼レフ
となっており、価格も相応に上昇する仕組み。他社も同様だが、パナソニックの様にハイエンドとローエンドの価格帯の商品が網羅されているところはない。

こうした商品系列化戦略が効果を発揮するか否かは、高級化と多機能化との違いを鮮明に示すことである。

GH1の様に機能アップ面(動画可能)を強調されてしまうと、消費者は、当然、同じ機能を持っていて価格が安い商品系列と比較してしまう。

消費者を迷わせることが、自社製品の買いそびれどころか他社製品に浮気させてしまうことになる。

LUMIX商品系列の多層化の販売手法は、消費者に対して、「自分が迷っていると思わせながらも実際には、PANASONIC LUMIXの商品系列の深い森の中で迷わせて、その商品を買わよう。」という手法であるが、こんな風に価格帯が低い階層の商品に上位機種以上の機能を盛り込むと、「高級=高機能」というイメージが崩れてしまって、結局は、「高級(価格)=セレブなイメージ」というカメラの持つ本来の機能とは違った路線で、ハイエンドの価格帯の製品を設定する以外に方法がなくなってしまうのではないだろうか。

今から30〜40年位までの高級オーディオ(ピュアオーディオ)全盛時代に、テクニクスブランドのオーディオブランドが、高級ブランド化戦略の点で、不成功に終わったのは、この様なデジカメの商品系列と同じ方法をとったことである。

本当の高級化(高級品)とは、「機能の質の向上」であり、機能そのものを付け加えたものではないという本質を消費者に訴えるPR宣伝、商品マーケティング戦略を採らないと、FZ38の発売が、巨額な開発経費をかけたGH1の販売の落ち込みという結果を招く懸念も浮上することになるのではないだろうか。(GH1を売りたいのならば、FZ38は、あくまでも「カメラ」として、ズームカメラ専用機としての徹底的な性能の向上を狙うべきであった。)

それが、趣味的商品ジャンルの宿命だと思う。
[アタリ○]
[デジカメ]

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