月並と月次
2010-11-17


今日は芭蕉忌(旧暦の10月12日)である。

 例の「旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡る」という感じ、時期が、このおうぶの地にいると判らぬでもない。

 芭蕉については、関西大学で、乾裕之先生に猿蓑と連句の作法がならったのみ。佛大の大学院では、長友先生は、浄瑠璃の専門家だったので、俳句とは関係無く、坪内稔典先生には、正岡子規の日記について習ったが、俳句については、何も習っていない。

 子規は、芭蕉を評して、「月並」というが、同時に「月次」という言葉もある。

 俳句は、季節の移り変わり、すなわち「月次」を読む文芸でもあり、そこに価値を見いだす。

 俳諧の発句が俳句の元になっているので、当然、発句は、月次の句でなければならない。

 但し、月次といっても、その折々の感興やメタファーを織り込まなければならない。

 芭蕉は、江戸時代には、名句名句と言われて、その句の外面ばかりを賞賛される様になって、形骸化した解釈しか行われず、句の内容的な理解は、紀行文を中心に行われる様になり、句に凝縮されたメタファーの読み取りが疎かになってしまった。

 子規の「月並」論はこういったところに来ているのだと思う。少し、俳句をかじる様になって、むしろ、芭蕉の折々の句の見事さを感じる様になっている。

 芭蕉忌や香偈の寺も滅びけり
[仏教芸術]
[俳句童子]

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