昨夜のあのハヤブサの天の川を照らした輝きは、完全国産固体燃料ロケットの最後の輝きでもあった
2010-06-14


完全国産固体燃料ロケットの最後の輝き

 昨夜のあのハヤブサの天の川を照らした輝きは、完全国産固体燃料ロケットの最後の輝きでもあった。

 西欧のロケットとは違う日本独自の斜め打ち上げ方式は、もともと日本の衛星打ち上げ技術が、「重力ターン方式」を採用していたことによるが、M型の場合は、誘導技術が進歩しているので、斜め打ち上げ方式の必要がないが、その「伝統」が踏襲されている。

 日本の宇宙ロケット技術は、東京大学の糸川先生を中心に長さ数十センチのペンシルロケットから、遠大な国産ロケット開発プロジェクトの最終機種であるM-Vロケットで打ち上げられた。

 ペンシルロケットが開発された背景には、占領国アメリカの指令により、一切の武器転用技術の開発が禁止され、航空機等の開発も出来なくなった日本に残された最後の技術研究余地であった事情がある。

 このペンシルロケットの末裔というか偉大な子孫であるはやぶさの構成は、M-14 + M-25
+ M-34b + KM-V2で、4段目にキックモーター搭載して、第2宇宙速度を得る実験と工学実験衛星として打ち上げられた。

 M-Vロケットは、低軌道打ち上げ能力が1.85屯もあり、固体燃料式ロケットでは、世界最大クラスであったが、低軌道打ち上げ能力を開発事業団のH-UAの10屯には遙かに及ばず、打ち上げ費用もM-Vロケットは、屯当たり21-25億円もかかるのに対して、H-UAは、8.5〜9.6億円で済む等の経済性の観点から廃止されたとみられる。

 日本独自技術であるMロケットを存続させる為に、小型衛星の打ち上げに特化された機種の開発も検討されたが、結局、小型衛星は、H-UAで打ち上げられる大型衛星や探査機に相乗りさせた方が経済的である為に、経済的な必要性がなくなった為に、結局、廃止が余儀なくされた。

 日本独自のロケット技術の産みの親である糸川英夫先生の名前が冠せられた小惑星イトカワの探査という輝かしい実績で、この一連のロケットプロジェクトが幕を引くことになったことは、ある意味感慨深いものがある。

 昭和40年代前半以降、国産人工衛星打ち上げの機運が高まり、Mロケットの先祖であるλロケットでの打ち上げと、何度も何度も続いた打ち上げの失敗の様子は、TV中継されたが、それをみていた少年時代の私にとっては、懐かしい想い出でもある。

 H-UA型ロケットは、国際水準のロケットであるが、基本技術は、アメリカのソー型大陸間弾道弾の技術を基本にあり、未だに製造工程、技術でブラックボックス化されている。一部の日本で開発された技術もあるが、基本的には、アメリカ開発のロケットであり、「日本人独自の技術の結晶」という輝きはない。

 宇宙ステーションやシャトルへの「相乗り」が日本の宇宙開発になってしまった現在の日本には、M型ロケットが開発された世界の技術大国としての輝きは失われてしまった。
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