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大植英次が大フィルを指揮して演奏したベルリオーズの幻想交響曲がNHK教育TVで放映された。
「オーケストラの森」という番組であったが、あちらこちらブログを見ている限りでは、肯定的な評価が多いようだ。
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7面相というか見ていると奇妙なくらいに顔の表情や身体が動く。TVカメラでよって映しているから一層、強調されている。遠くから見れば、あれで「表情豊かだね〜」
という感じか。
麻薬を飲んで恋人の幻想に悩まされる青年の霊が指揮者にそのまま乗り移った様なパフォーマンスであれはあれで面白いが、他の曲でもあんな風になるのか、どうなのか、それが気になる。
目をつぶって聞いてみると、大フィルの弦楽器がこれまでに無い演奏をしている。大フィルは、不器用なオーケストラで特に、交響曲の第1楽章等の未だ曲にノリきっていない時にミスやアンサンブルの乱れが多発するが、今回は、そうした乱れは殆どない。少し、第2ヴァイオリンのセクションがズレかかると、「どついたろか〜」といった怖い顔で団員をにらみつけると、その女性奏者は、ビクビクして弾いていた。
弦のリズムが鍵盤楽器の様に鮮やかに表現される。つまり、運弓法で、力点がそれまでの大フィルは、微妙にそれぞれの奏者でずれていたのが点でピッタリと合わさっている。相当な練習(アマオケの特訓並みのプロとしてのプライドも捨てさせられる程の練習)が行われたのに違いない。
驚くべきは、第5楽章のコルレーニョという弓の背中で弦を叩く奏法があるのだが、このリズムが一糸乱れずに「チャッチャチャチャ」って聞こえるところ。以前の大フィルや殆どのオーケストラでは、「ジャーララッラララ」って感じにずれるのが普通。ここも稽古を重ねたというか特訓させられたのだろう。
恐るべきだ。
しかし、従来の大フィルが持っていた弦の包み込むような包容力や響き柔らかさといったものは全て失われてしまった。それで楽曲の構造がよく把握出来て、デジタリスティック(勝手な造語である)な精細度が発揮されるが、同時にトゥッティの汚い響き、特にクレッシェンドしていた時に響きが非常に荒く、無機質に聞こえる点は、どうしようもない。
大フィルの弦楽器群の限界がここで浮かび上がる。つまり、音の入りは正確に合わせる事は修得したが、そのソノリティの統一、ダイナミックスの精密さを獲得する迄には至っていない点である。
おそらく大植は、この点について奏者にさんざんなクレームをつけたに違いない。罵声さえ浴びせたかもしれない。
とにかくビデオに収録している人は見て欲しいが、元コンマスの1stヴァイオリン奏者の冷たいというか捕虜収容所の所長を囚人がみるような敵意を持った視線、団員達の険しい表情は、大植と団員達の不協和音を現しているのではないか。とにかく不信感に満ちている。
そうした団員達の不信は、更に、次に指摘する点に顕れる。
それは、良くフレーズを聞き込んでみると全く同じアーティキュレーションをとっているのはなく、全て、細部で即興的に変化している。それにも団員達は懸命についていっているというよりもついていかされているのだ。
こうした演奏は、かのメンゲルベルクのチャイコフスキーの悲愴交響曲にも見られるもので、指揮者の独裁性が発揮されている。つまり、指先一本で指図されるのに奴隷の様に楽員達はついて行かされている。
それは、第5楽章のコーダの部分でフルベンのバイロイト第9の最後の様なクレージーなアッチェルランドに収斂されている。
最後の最後まで大植氏の気まぐれに翻弄されつづける。
聞いていて、感心はしたが、けっして、楽しめる様な演奏ではなかった。大フィルもこんな指揮者の支配下に入って不幸だと思う。